本日2年ぶりに祖母に会ってきた。
要介護、寝たきり。
手足はやせ細り、骨のよう。
体はろくに動かない様子。
右手は小指~中指まで握り、人差指、親指は開いた状態で固まっている。
腕がL字で固まり、拳が中空をふらふら、といってわかるだろうか。
左手はベッドの手すりをつかんで離さない。
何かを訴えているのか、なんの意味もないのか。
本能的な動きなのか。
母が話しかけると反応を返す。
正しく認識できているのか、いないのか。
認識した上で体が、脳が、思うとおりに動かないのか。
判別の難しい反応を返す。
発語がきかれない「あぁー」という声を発する。
例えは悪いが、生ける屍のようだ。
祖母は思うとおりに体が動かないのかもしれない。
ただ、心苦しくも、それを見た私の心は動いた。
そういった、自分の良く知る、
元気だった頃の姿を知っている人間の
棺おけに片足突っ込んだ
死の淵に、絶望の淵に瀕した姿を見てやっと
タイム・イズ・ライフ
の意味を正しく認識する。
情報ばかりで理解の浅い
己の愚かさに気づきながら、
消えうせていた情熱の火が心にともるものである。
悲しい気もする。
だが、自身の未来もそうなる可能性を思えば、
ただ悲しいとも思っていられない現実がある。
また、私の主観で見て絶望的な状態というだけで、
祖母の主観でどうかはわからない。
既に認識があいまいになっているのかもしれない。
赤子に戻るように、手放していくのだろうか。
人は命の犠牲の上に立ち、限られた時間を生きる。
(2019/10/12追記する)
残念なことだが、心、情熱だけでは人は動かない事がわかった。
心は動いても、行動には結びつかない。
自身の健康、体調に不具合がある状態では、
まともに前に進むこともおぼつかないという現実があった。
頭脳を病めば方法を誤り、体を病めば情熱が削がれる。
第1に、自身の健康。
これを最優先で確保しなければ、人生はどうにもならない。
会社を辞めるくらいまでは概ね健康で下手を踏んだことがなかったので、
2年近く長期にわたって不調が続いたことに驚いた。
老化して体にガタがきたものと誤認した。こんなモノなのかもと。
老化もちょびっとはあるかもしれないが、結構回復したからたぶん違うと思う。
不調原因と思われるモノを例外なく全廃して環境を変えた方がいい。
インプットを変えれば、アウトプットも変わる。
その判断すら不調で誤る可能性があるから、
先天的、本能に備わった底力的ななにかが試される気がする。
健康な人は空気のようにそこにある
健康の価値を普段意識することはないのだろうが、
健康に動けることが最高の価値と思う。
以上。